鮮烈な走りで国内外に衝撃を与えた傑作セダン、日産・プリメーラ。わずか3代で終わってしまった稀代の名車、その魅力とは?

みなさん、こんにちは!今回は、かつて日産が生産していた2リッタークラスのセダン、プリメーラについて紹介します。プリメーラといえば、初代モデルP10型の成功が今でも語り草になっており、そのハンドリングについては当時「世界最高のFFセダン」と言われるほど、高い評価を獲得しました。

この記事では、初代プリメーラについてはもちろん、その後を継いだキープコンセプトの2代目モデル、3ナンバーとなって伸びやかなスタイリングに変貌した3代目モデルについても紹介していきます!

日産を変えた「901運動」

プリメーラの初代モデルが登場したのは1990年2月のことでした。前年10月の東京モーターショーにコンセプトカーとして登場したのち、わずかな期間のみでデビューを果たしたということになります。当時刷新されたばかりだった、日産の新しいコーポレートアイデンティティをフロントとリアに掲げた初めての日産車となりました。

1980年初頭、国内での販売台数が落ち込んでいた日産は、その状況を打破すべく「901運動」と呼ばれる社内運動を開始。「1990年代までに技術の世界一を目指す」というスローガンを掲げ、価格帯やクルマのクラスに関係なく、全車種でシャシー、エンジン、サスペンション、ハンドリング、デザイン、クオリティの向上を目指し、技術開発が行われました。

その結果、FFベースの「ATTESA」やFRベースの「ATTESA E-TS」といった四輪駆動技術、乗用車として世界で初めて四輪操舵を実用化した「HICAS」、複雑かつ精緻なマルチリンク式サスペンションや油圧アクティブサスペンション、性能そのものだけでなく耐久性や高度なチューニングにも耐えたSR系や、BNR32型スカイラインGT-Rの心臓「RB26DETT」に代表されるRB系エンジンなど多くの成果が上がり、当初の目論見通り日産のブランドイメージと業績は大幅に向上しました。

Y31型セドリックやグロリア、FPY31型シーマ、S13型シルビア、Z32型フェアレディZ、そしてBNR32型スカイラインGT-Rなどのクルマが好調な売れ行きを見せる中、初代プリメーラも「901運動」から生まれてきたクルマのひとつです。

プリメーラは、最初から海外での販売も念頭に置いた「国際戦略車」と開発がスタートしました。日産社内でも同クラスにブルーバードに抱え、そして国内の他メーカーでもライバルの多い2リッタークラスのセダンを新規開発する…。日産が出した答えは、セダンというクルマの形態を徹底的に見つめ直し、海外でも通用する高性能セダンをつくる、というものでした。

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初代プリメーラは、当時国内で流行していた華美な装飾や実用性軽視のスタイリングには見向きもせず、結果としてシンプルな造形でありながら上質なデザインを持つ、まさにヨーロッパ車を思わせる流麗なスタイリングを実現しました。

絶対性能よりもパッケージングで勝負

全長4,400mm、全幅1,695mmの5ナンバーサイズの中で、当時の基準からワンランク上の室内長・天井高を確保し、横置きの直列4気筒エンジンのFFとすることで、キャビンを車両の前方に配置。短くなったフロントフードをシャープに見せるために、全高の低いラジエターを採用しました。流れるようなサイドビューと大きなトランク容量を両立するためにハイデッキのリアデザインとし、各ボディパネルをフラッシュサーフェス化することで、Cd値0.29という優れた空力特性をも実現します。

サスペンションは、「901運動」の中で生まれたマルチリンク式フロントサスペンションと、パラレルリンクストラット式リアサスペンションを採用。国産車としては異例に高いボディ剛性と、硬めに締め上げられたサスペンションの組み合わせで、「狙ったラインをトレースできる」「世界最高クラス」と謳われた優れたハンドリングを実現しています。

エンジンは2リッターと1.8リッターの自然吸気直列4気筒のみ。それぞれ150ps、110psを発生する、特に際立った性能を持つエンジンではありませんでしたが、なめらかな出力特性と自然で澄んだサウンドは、多くのドライバーを虜にしました。トランスミッションは4速ATと5速MTという極めてオーソドックスなもので、こちらも特に大きな技術的トピックは存在しません。

そう、初代プリメーラの真に革新的なところは、エンジンやミッションといった技術面で勝負するのではなく、優れたハンドリングや広い居住空間といった「クルマのパッケージング」そのもので勝負している点にありました。開発を統括した津田靖久氏はVWサンタナの開発をはじめとしてヨーロッパで活躍されていた方ですし、同じく開発に関わっていた水野和敏氏も、のちにR35型GT-Rでの「プレミアムミッドシップパッケージ」で世界を驚かせます。ヨーロッパへの意識と、クルマ全体のパッケージングへのこだわりが、初代プリメーラを生み出したのです。

日産社内では、初代プリメーラの発売前には悲観的な意見もあったといいます。「性能的に特筆すべきところのないセダン。駆動方式もFFのみ(デビューから8ヶ月後に4WDも追加)。こんなクルマを誰が買うのか?」果たして、デビューした初代プリメーラは1995年の生産終了まで堅調な販売を維持し、2リッターのミドルクラスセダンとしては大成功を収めました。

ワンランク上の室内空間と広大なトランクによる高い実用性、優れたハンドリングとバランスの良いエンジンによる運動性、なにより「運転していて楽しいセダン」だった初代プリメーラの正しさは、日本での販売実績のみならず「欧州カー・オブ・ザ・イヤーで日本車初の2位を獲得」という実績が証明しています。

初代ほどの成功は収められなかった2代目

大ヒットした初代モデルの後継の開発は、いつでも困難を伴います。1995年から2001年まで生産された2代目プリメーラは、好調だった初代からキープコンセプトで開発されたものの、乗り心地はよりソフトになり、初代のようなピュアなハンドリングは鳴りを潜めてしまいました。初代モデル(特に初期型)では、硬すぎる乗り心地にクレームがきたというエピソードもあり、そうした声に向き合った改良といえるでしょう。

2代目プリメーラは、U14型ブルーバードと基本コンポーネントを完全に共用化したことで、ボディはわずかに大きく、そして重くなっています。この大型化により、もともと好評だった室内はさらに大きくなり、特に後席の居住性が向上しました。

運転席SRSエアバッグが全車で標準装備となるなど、安全性能において大きく向上している点も見逃せません。時代の流れとともに高まっていた静粛性への要望も取り込み、質実剛健さの塊だった初代プリメーラの欠点を丁寧につぶしてモデルチェンジを果たした2代目モデルでしたが、それでも初代モデルほどの成功を収められなかったのは、時代の皮肉ともいえるでしょう。この時期、バブルは崩壊し、一方でRVブームが巻き起こり、国内のセダン市場は急速に縮小していったのです。

3ナンバーに拡大された3代目モデル

3代目モデルが販売されたのは、2001年から2005年まで。3ナンバーに拡大されたボディは、日産のヨーロッパデザインスタジオによる、モノフォルムに近い独特のエクステリアをまとっていました。デザインに関する評価は高く、日本のグッドデザイン賞や、ドイツのレッド・ドット・デザイン賞などを獲得しましたが、一方で売り上げは伸びず、短期間で生産を終えてしまいます。

日本においての3代目プリメーラは、初代および2代目モデルに親しんだユーザーが、次の購入対象として選ぶクルマではなくなってしまったというのも、販売不振の一因かもしれません。高いボディ剛性や優れたハンドリングは健在でしたが、コンパクトで実用性が高く、オーソドックスかつ質実剛健なセダンというイメージは、3代目モデルではほとんど残っていなかったのです。

歴史に残る傑作FFセダン

初代、2代目モデルは、日本やヨーロッパのツーリングカーレースで活躍し人気を博しましたが、日本の中古車市場でもあまり多くの個体が残っているというわけではなく、年々市場に出回る数は減少し続けています。S13型シルビアやBNR32型スカイラインGT-Rのように、突然値上がり傾向に転じるかもしれませんが、なにより現在流通している数が少なすぎます。

それまでの「技術の日産」と、ルノーと合併後の合理化のはざまで生まれた傑作セダン、日産・プリメーラ。できる限り多くの個体が、今後も生き残っていくと良いですね。それでは、また次回の記事でお会いしましょう!

[ライター/守屋健]